墓参り

先日久しぶりに祖父母の墓参りにいってきた。

墓参り自体は祖父がなくなった小学校1年からの我が家の恒例行事となっており、自宅から車で数分の寺まで向かう。

途中仏花を買うためにスーパーによるなどして、近くのドブに鯉が泳いでいると聞き見てみるが、見えたのは大きなオタマジャクシのような黒い影だけだった。

寺に着くと、鐘の下にいつも繋がれている犬がおらず少しがっかりして、ポンプ式の井戸でバケツ二杯分の水を組んでから墓へ向かう。

レバーを上下させるだけでとなりのトトロの世界に迷い込んだかのような気分になる。静かな寺である。


先祖代々の墓はいつもどおり仏花が枯れており、家族が花受ごと流しの方にもっていって捨てる。その間に水を柄杓で墓にかけ、鳥のフンなどを掃除するのが僕のほぼ唯一といっていい役割だ。
墓の正面には深々と我が家の苗字が刻印されており、両親や自分が死んだ時もおそらくここに入るのだろうという妙な説得力を感じる。

墓地の辺りを大きなアゲハチョウがゆらゆらと飛んでいる。蝶は人を怖がらないのか、かなり近くまで寄ってくることに驚いた。

少しすると枯れた仏花と新しい仏花が取り替えられた。マゼンダ色をした脳みそのような花がいつも目につく。

遠くをみると先ほどのアゲハチョウが飛んでいるのかとおもいきや、ハチドリだった。ホバリングするように樹木の周りを飛んでいた。


なむみょうほうれんげきょう

と唱えれば浄土にいけるという教えの宗派なので、僕らはなむみょうほうれんげきょうと唱える。

おばあちゃんが生きていたころは、これを数回唱えればお小遣いがもらえた。今考えればボロいものだが、おばあちゃんとしては孫が夫の供養をしているのが嬉しかったのかもしれない。

そのおばあちゃんももう墓の中にいる。あの墓地はいつまでも変わらないが、時間は確実に流れているのだ