シゴトカン
断片的な情報なんていらねーよな。
兎角、リアルな友人には読んでほしくない文章をこれから書こうとするが、それほど大して読んでほしくない文章にはならないだろう。
時間もないし、まだ羞恥心が抜けきれていないから。
そして、それは文章作りにおいて結構な確立で致命的である。
良いものは一日ではできっこないのである。
粘土をこねる作業のように、手で転がせば転がすほど柔らかくなり、加工の自由度が広がるように思えた。
だが、どんどん柔らかくなって、自由度が広がれば広がるほど、自分が粘土で何をつくればいいのかわからなくなったのだ。
いつまでも粘土は原型から少し角が丸くなった状態で、いつまでも形を成すことはなかった。
中途半端で止まってしまうことを、彼は自分には才能が無いのだと言い訳した。
殺してやろうかと思った。
なんと脆く甘く無責任な言葉かと思った。
僕はつらかった。
ヒトがものづくりにおいて、こんなに簡単に自分の質を下げられるなんて、思ってもいなかった。
こんなに簡単に約束を破って、平気でいられるなんて思ってもいなかったのだ。
男も女も変わらない。
みんな、そこまでものづくりに対して必死ではないのだ。
必死でない理由はいくらでもある。
ここで挙げるのもうっとうしいくらい、たくさんの理由が、それももっともらしい理由が。
僕は腹立たしかった。
1人の部屋で大声で叫んだ。
ふざけんなよと
なめてんじゃねーぞと
僕は完全になめられていた。
僕の将来への夢とか、甘ったるいビジョンとか、そういうのをヒトは全く想像しないし、何よりどうでもいいのだ。
僕はそれが悔しい。
だから面接の練習がてら、少し自分アピールをしてみようと思う。
自分がどれだけヒトを必要としているか
自分がどれだけモノを作りたいと思っているか
自分がどれだけ本気でいられるかが、そういうことにかかっている。
おおげさな話しだとしても別にかまわんのだけど、本当に死ぬ前になって後悔したくないから今動いてる気がする。
生い立ちや、好みなんてものはどうだっていいもので、自分らしさとかを自分から追い出しておいて、あとになってストレスで倒れる、なんてバカはやりたくない。
社会に属すにせよ、僕には僕なりの属し方っちゅうもんがあると思う。
誰かのそれに合わせるのでは、決して ない。