他人にわかる日本語
言葉は他人とコミュニケーショトするため道具なんだから、
他人が聞いてわかる日本語を使えない奴はバカだ、
という声が聴こえる。
高校くらいから、僕にとって言葉というのは一人考えをこねくりまわす道具としての一面が生まれて、それからというもの、僕はずっとバカなことを書いている。
今のこれらがまさにそれだ。
一人で使う言葉には、制約がほとんどといって存在しない。
重要なのは、自分が満足するかどうかという要素ほぼそれだけ。
他人が読み辛かろうが、そもそも人にみせるような文章ではないのだ、という開き直りと、それでは何故ネット公開をしているのか、といえば、単に自分がすぐ見える場所にlogしているだけにすぎない、という言い訳。
ただ、「この文章は人に読まれているぞ」という意識は、logを続けることに関して最低限の重要な要素であるのは言うまでもない。
文体は直前にみた他人の文章によって左右され、大きく主観を残した文章でも、自分にとっては立派なアウトプットであり、自動化できないもの。
自分さえよければいいと思っている人間にはピッタリの日課だ。