自分の思想の代弁を仮想の人物2人に対話形式でやらせるという方法は、以前からラクで良さそうとおもいやってみたこともあった。
今自分はLoLの面子にあぶれたりPSO2を一緒にやるヒトがいなかったり金がなくてゲーム買えなかったりして創作意欲が湧いているので普通に記事を書いている。
退屈を埋める一番の方法はきっと創作活動なのだろう。二番目くらいが趣味なのだろう。今はなぜかそう思う。
しかし俺のいう創作活動とか、意欲とかいうのは、中身のない言葉だなぁとも
対話形式がラクとはいったものの結局特に書きたいものが無いときは意味のない文字を繰り返すことになりあまりおもしろくならない
彼らはSNSにおける一種の正解、勝利を大多数の人間に自分のコンテンツが見られることであると信じており、そうなるように実行し、そうならなければ諦める。
自分はずっと自分さえ良ければなんでもよかったので、そういうことを一切しなかった。
割りと虚しさはそういうところから湧き出すものなのかもしれない。
行動のただしさを保証する担保がない場合、つまり自分が良くないと思った瞬間崩れるのだろう。
ランキング一位だったらどんなにダメなことも少しは正しいかもと思えるだろう。