有耶無耶

タイトルから内容がみてとれる日記は、見ないようにした。

タイトルと中身が全く違う日記ばかり書いている。

こんな無駄な文章を書いて、何が楽しいのか。


ミクシィは今まででようやく1万6千あしあとくらい。

ブログはアクセスカウンターつけていないのでわからないが、最大リンク数は15~20件くらい。

最低15人、最大わけもわからないくらいアクセス。


つぃったーは12000ポスト、2500ふぁぼり。

これはmixi的には大体(12000 * 140) / 10000 回日記を書いた中、2500回コメントがついたようにとれる。


要するに、大したことない、と感じる。

数的には。

実際、こういうものは1コメントないし1ふぁぼられがその後数週間のモチベーションにつながったりする。



これは、もっぱらポジティブな意見に限られる。



なぜなら、俺のスペースは1度も荒らされた事もなく、閑散としているので、精神的なダメージを負わされるような投稿は1度もないからだ。



大体ダメージは、肉体的にも精神的にも現実において受けてくるのが僕の常なのである。



ダメージを受けやすい現実と、干渉はないがダメージもないネット。


どちらに長くいるようになるかは、弱い人間なら容易に想像がついて、
絵に描いたような親不孝大学生のぐーたら人生を送っている。


「このままでいいのか」

「他人はがんばってるぞ」

「あいつを見返したくないのか」


こういった大体の励ましワードに相当な耐性がついてきて、他人のどんな言葉や言動も、1日経てばモチベーション向上剤とはかけはなれたものになってしまう。


頑張れたときというのは、常に尊敬できる誰かがそばにいたときだけだった。


今もそんな人間はいるにはいるけど、常に最も尊敬できる誰かがそばにいて、しかも自分に友好的で、進んで自分を助けてくれる、そこまでされないと動けなくなっている。


僕が動かないことで、誰にも迷惑がかからない、という状態は当の昔に終わっていて、僕と同じように他人のせいで苦しんだり悩んだりしている人間がいそう。なんとなくそう思う。


自分は悪くない、自分はできる限りのことはやった、あとは他人が動くだけ。動かない他人が悪い。


その認識が甘いんだとわかった。


けど、どこまでも自分から動くくらいのエネルギーがなくなった。


結局、認識の甘さを訂正できない程度の体力しかないこと、が今こんな状態を生んだ原因であるとしか思えない。


で、今からどういう風にやっていくのかというと、正直なところあまり自分ではわからない。


事象というのはいつもヒトがあとから分析して評価をくだすようなところがあると思っている。


だからここからは〜するべきだよねとか〜するべきじゃないんだよねとか

そういう観測されてないことに関する憶測とか理想論とかは

一切外部に漏らさないでいこうと思う。


で、そういう「言わないでやる」みたいな姿勢は友人から何年も前から言われてきた事だったのに、今更自分で気付いたというこの遅れ、遅さという事に関して、

全く愛想を尽かさない友人こそが宝で最重要なんだと思った。


そして、愛想を尽かされちゃった仲間(と思っていた他人)に関しては、スッパリ諦めた方が合理的というものなんだろうとも思えた。ようやく。


けれども、合理的なことをなぜか実行できるのはゲームの中だけ(要らなくなったものは売る、弱い敵から倒すetc)の僕にとっては、そうすることは至難の業なのは今も昔も変わらない。


もう来ないと思っていた仲間が絶妙なタイミングで応援に来るのがお約束なんです。スパロボでは。


そういうことをリアルにも求める時点で孤独になることはわかってたのに、やっぱり変えることはできなかった。



ここが変え時、ここが変え頃。でも変えない。



それすらも自由だから。


それこそが生きがいだから。


自由度。「え、こんなことやっていいの?」という、自分の一番好きなものから学んだ、現実を楽しむための概念。



教授に「彼は変人だよね」と言われてしまうくらい、変な思考回路で物事を考えてしまうこと。



自分の中だけでは正しくて、大多数の他人からは理解すらされない価値観であり行動であること。



自分と同じような境遇であると「思い込んで」他人を助けてあげたくなって、どうにもできなかったこと。



そういうことひとつひとつが納得いかなくて、腹が立って、年期の入った内燃機関みたいに不完全燃焼を起すけど、実際のところそういう不具合を解消せずに今までやってきた。



できることからやればいいのに、常にできないことについて考えている。


できないことをやりたい。


誰にもできないことをやりたい。


そういう夢ばかり膨らんで、日常生活に支障をきたす。きたしている。


まともに生活をする技術が、いつまでたってもつかないままなのは、そういうことが理由なんだろう。



いつまでたっても不毛だからと、打ち切れるのが女の諦めのよさ。


いつまでも諦めずに愚直愚直しているのが、男の諦めの悪さ。


男の執着心。未練。妄執。粘着。


やめなければ前には進む。

0,0,1でもプラスにはなっている。

打ち切れば見えることはなかった。

やめなかったからここまでみれた。


おそらくヒトにはみえていない。


肝心のヒトにはみえていない何かが、僕だけには見えている。


他のみんなにもみえている。



女はいつも先に見限る。


待たせておいて先に帰る。


それでも嫌いになれない不思議は、


制作にはもちこんじゃいけないものなんだ。



けれども、もちこんでしまうどころか、制作動機の中枢になってしまうのが、そこまでもちあげてしまうのが


僕という人間で、男というものなんだ。