うしおととら
ネタバレは極力しないほうこうでかく。
実を言うと最終話だけ以前に読んだ事があるのだけど、
記憶が曖昧になったこのごろようやく全巻読み終わり。
ストーリーの途中で涙腺にくることの多さもさることながら、
ラストの寂しさが丁度いい感じで素晴らしい。
いつもはラストに近づくにつれてあっけなさと虚無感だけがつのり、
ラストにブワっと泣けるものがマンガでも映画でもなくなってきている。
うしおととらもラストというよりは最終戦での各キャラの見せ場が凄まじいことになっているので、あーなるほどこれが伏線回収というものなのか、と。
ヒトの心を動かしていくヒトを描けば、ヒトの心を動かすことができるんだなーという。
個人的にはラスボスの最期と鳴き声にまで意味があったあたりにかなりじーんときた。
破壊者の破壊する動機には相手への恐怖が根底にあって、
自分が滅ぼされるという恐怖から逃れようとどんな姑息な手段でもとれる、滅ぼせるというのはなんかトラビアンやってるときも感じてはぁーっとなる。
うしおととらの勇気は友情とか愛情とかによるシンプルで否定しやすいものなんだけど、
「その場のノリ」っぽい勇気じゃないので古いけど好き。
あと、過程がともなわず結果がついてきているキャラ(特に何もしていにのになぜかモテる主人公とか)がほとんどおらず、キャラごとに過去があり今までの過程がありを全部描いているとこもすげぇのかなと思える。
設定って、つくっても作中にはほとんどでないこともあるし、
33巻という長さ(個人的には長いと思ってる)は十分に描けるスペースなのかもしれないけど、やっぱり描こうとしないと描けないよなーと。
絵的にみても、なんかあまり使いまわしできないキャラが多い(それこそ巻末のオマケページくらい)のが、今のマンガとはちがうような。
今のマンガは髪と顔と目の流用可能パーツ化、パターン化が進んでいるような気がするんだけど、うしおととらはそれぞれキャラのためのオリジナルオンリーなパーツをあてている、みたいな。
今はPCでマンガ描けるからアレなのかもしれないけど、やっぱり2Dなんだから2Dの良さ、曖昧な変形が許される、味になるかんじはやっぱりあったほうがいいとおもうんだけどなー。
うまく説明できないけど、3Dモデルは便利でリアリティを求められるもの、2Dは曖昧な良さがあると解釈している。
大神のあのグラフィックは丁度それらの中間で、3Dで構築された世界に2Dアニメ的曖昧感がでていて、それタッチ和風グラフィックによって幻想的な感じがでて、日本の昔話なのだから、見た目として完成しないわけがないみたいなね。しかもそれでいてまだ可能性もみえる。曖昧だから。
で、外伝は全部よまずに寝てもうたので、また次の機会に読む。