僕は僕のお客ではない
自分好みのものを制作するのは趣味で、他人が、それも不特定多数の人の好みに合わせたものを制作するのが仕事で。
アートとデザインは対極にあって、僕はアートがやりたくてデザインをやらなくてはいけない(んだろう)。
「趣味は仕事にしたくないんだ」って書いていて、仕事に好きなことを別にやりたくない、という人はいたけど意図的にやらないようにする、という意思表示は初めてで、それに同意している人もいて。
趣味を仕事にしてはいけないのか。
仕事は妥協できるものを選ぶべきだ、とも読める。
趣味に対して妥協したくない。
金も時間も惜しみなく使ってきた。
もちろんその絶対量は人のそれとは程遠いけど、僕なりの全てはゲームにある。
もちろんゲーム「プレイ」に対して。
「クリエイト」に対して今までModingの域を出たことはない。
少なくとも人の目に触れた範囲では。
僕の作品に僕はコストは払うがサラリーはあげられない。
サラリーをくれるのは雇い主だ。
雇い主は高慢で金持ちだ。
売れるものしかみえていないのに売れるものがつくれない。
不利な状況であえて頑張れるのは、好きだからの一言に尽きる。
この業界はいつだって作り手の好きだからという感情によって支えられてきた。
誓ってサラリーがいいからこの業界を選んだという人は稀だ。
みえていないし調べていないけど、そんなことは嫌でもわかる。
誰が見ても美味しい思いをしているのは上位数名で、あとはみんなアンダーグラウンドでモバイルゲームをつくっている。
あるいは裸の美少女絵を売る。
でも僕は実写じゃないAVをつくりたいんじゃない。
お客様のリテラシに左右される僕の人生。
楽しそうだが、難しいそう。
僕は常に他者の頑張りによって生かされて、怠惰によって殺される境遇にある。
僕だけ頑張ってもダメだし、人が頑張るだけでもダメ。
僕と人が頑張っても大概はダメ。
そういう世界で生きようとしている。
麻雀の牌の1つになったような気分だ。
1つだけでは何にもならず、14揃って初めてお披露目される。
いつ捨てられるかもわからない。
状況が変われば、優位はすぐに覆る。
明日にも終わるかもしれない不安定な世界で、
だからこそ楽しくて、
葛藤とジレンマと渇望の坩堝と、
動機が探せないほど自分の内側に寄ってしまっていること。
体全体に溶け込んで、探せなくなってしまっているほどの自然体での「やりたい」に
喜んでいるのは自分だけで、
僕は僕のお客ではないから、
ただひたすらもどかしい。