オタク,リアル雑感
最近は刺激が多いのか、価値観の変化を強いられる日々というか、漫画読んだり人の話し聞いたりしている中でズバズバ価値観変わった感じなんや。
時折twitterで僕はオタクというものについてpostしたりするんやけど、それはまぁいわゆるサブカルを知っている奴程度の意味で使っているのだけど、今ちょっと思ったことというのがあって。
オタクってストーリーとかを完璧に理解したい、理解できる作品とかを好むと思うんよね。
なんというか、めちゃくちゃ分析するタイプのオタとか、作画しかみてないオタとか、オタって色々いると思うんやけど、どんなタイプのオタも作品が自分の眼がねにきちんとかなった仕事をしているか、それを自分が理解認識できるかっていうところを重要視しているように思える。
で、わからなかったらあんまり感想いえないから、ブログにも書けないし、わだかまりがあって、「ないわー」みたいな。
わからないところからあれやこれやと見出すのがオタクの十八番なところもあるから、まぁわからないとは言わないんだけど、基本的にわからない作品を好むオタって、あんまり自分の中では自然ではない。
まぁ、とにかくオタは自分がはっきりとわかる、感じられる、意味を見出せる作品が好きだと思うのですよ。というか僕がそういうオタ。
で、リアルって、そういうオタである僕が得意でないリアルって、はっきりしてないことのほうが明らかに多いんだなーって最近気付いて。
その、ゲームとかなら、フラグがたったら100%ボスと闘うわけで、負けイベントならとりあえず負けるんですよね。
約束事って、プログラムにもあるし、アニメとか演出が効く業界にはお約束ってあったり、あとの展開が予測できることってフィクションの世界では往々としてあるんだけど。
リアルって根本的にカオスだから、まず予定通りに事が運ぶことってないじゃん。
ご飯の約束をしてもすっぽかされることがあるし、ヒトの心はわからないし、後輩はポポンと彼女を作っちゃったり。
そういうことって、ある意味理不尽というか、誰がどうしたからこうなったということではなくて、まさに「どうしてこうなった」なんだけど、そういうはっきりしないことって、オタは嫌いなんじゃないかなー。
僕は自分の思いこみの部分ってすごく大事にしているんやけど、それは思い込みに過ぎないよね、って散々ヒトから言われてきていて、その指摘はきっと「君はそのままじゃリアルでは楽しくできないよ」って言われているような気がする。
じゃリアルを楽しむ方法はなんなのよ、ってさっき明石家さんまのテレビみてて思ったんだけど、きっと「なんでも許す」ってことだと思う。
その、理不尽なリアルを「こういうもんだ」「まぁいいだろ」見たいな感じで全部許せる人間というのはリアル楽しいと思うんよね。
僕は一度の失敗で生き地獄を引き摺るタイプだから、リアルを楽しめなくて、フィクションに走ろうとしているのかなーという。
リアルって、総じて不幸の割合の方が多いんだよね自分的には。
だからその分フィクションを楽しもうとしているのかも。
ただ、フィクションって、それが最善でないと、よくなくて。
もっとわかりやすくいうと、何か絵を描く時って、そう描くのが最善、っていうやり方、アプローチ、とかがないと、良くないかなって。
もともとフィクションというのは嘘偽りで儚いでしょ、そこに工夫がないと、ほんとただのらくがきだなっていう。
なんか言いたい事からすげー脱線したけど、要はリアルを存分に楽しめる人間とフィクションを凄まじく楽しめる人間との差ってほとんどないように思いたいけど、やっぱりどこかシリアスにモノゴトを捉える部分が違っているのだなーということなんです。
抽象的な言葉で収束させようとすると日本語というのは失敗するのだけど、ともかくまぁ、リアルを頑張ろうとする自分と、フィクションをとてつもなく楽しもうとしている自分に矛盾感じて、とても滑稽に思えたのだということでこんな文章を書いた。
きっと2日後にみたらただの鬱日記だなー。
ただリアルって、もう理想どおりのリアルって、もう要らないかも。