特徴

五体不満足で有名はおとたけさんの最近のついったーが面白すぎてすごいのです。

おとたけさんの場合、自分の障害をネガティブにとらえておらず、「特徴」、と表現して、それをネタにして冗談をいったりするので多くの方の間で賛否両論あるわけなのですが、そのへんに少し。

まず自分の性格や外見にたいして、ネガティブな印象しかもてない、というのはある意味固定観念で、どれだけブサイクだろうとどれだけハンサムだろうと、結局外見とか内面とかってその人の特徴(量)にすぎない、って考え方は、いままでしてこなかったのです。

世の中って、学力も、容姿も、社会的地位も、性格も相対的に、誰かと比較されることでできあがっていくもので、認知されるものだとおもっていました。

たとえば、はこだて未来大学しか日本に大学がなかったら、ぼくは一番すごい大学生なはずなわけですが、実際は東大とか京大があるわけですよね。

僕は自分が誰かと比べてどれだけ違っているか、もっと悪くいうと、どれだけ劣っているか、優れているかで自分の立ち位置を把握することにつとめていたわけです。

だから、誰かと比べて極めて人間関係をうまく構築することが下手な自分にたいしては、否定的な感覚しかもてなかった。

けれども、このさい、これまでの自分をすべてそういう「特徴」をもった人間なんだ、という風に明らめてしまえば、ずいぶんと考え方がかわるし、スッキリするんじゃないかと思いました。

個性、といいかえることができるかもしれません。

僕は僕なんだからこうなんだのこう、には、僕がいままでこれこれこういう理由で今こういう状態、という意味がつまっているのですが、そこは過去にかいたことやこれから書いていくことに任せるとして、
とりあえず、僕が「こう」いう人間であることには、くよくよしないことにした。

僕は僕という特徴をもった人間なんだから、こうあることはしかたないじゃん、という気持ちのほうが、むしろ潔いというか後ろめたくないというか、開き直れるというか。

つまり過去を人一倍引きずる性格や、嫌なことから忘れてしまう性格や、しつこい、空気が読めない、などその他もろもろの特長を、今後に生かせるやり方がきっとあるんじゃねぇかなーとおもいながらいきていったほうが

きっともし、そんなやり方がなかったとしても、僕という人間は一生うまくやれない時代に生まれてしまったのだとしても、ずいぶんマシな人生を生きられる気がスルノデス。