まどかマギカ5話をみてからデッドスペース2の設定について考える流れ

ネタバレがひどいことに定評があるまどかマギカであるが、1話みるとその1話先のネタバレコメントがあるという状況なので、だいたい設定とかわかっちゃうという。


なんか、魔法少女=肉体と精神を切り離した状態、という解釈、というか設定が6話でわかるらしく、肉体から抜け出た精神の結晶がソウルジェム=魔力の源っていうアレらしい。


強大な力を得るために、人間をやめる、ってのはなんかサイボーグモノとも共通したテーマのように思えるけど、サイボーグ系は肉体を捨てても自分は人間かどうか、っていうところが焦点になったりしてたけど、作中でテーマが明確になってくる魔法少女モノ、という時点でなんか面白いなーと。


で、まどマギをみていると、デッドスペースのマーカーと敵であるネクロモーフについてちょっと考えたくなった。



マーカーはネクロモーフの製法が書かれているオブジェであり、周辺にいる人間に幻覚をみせたり、殺し合わせたりする作用がある。


で、そうして生まれた死体が変質してネクロモーフになるわけだけど、なぜかマーカーにはそうした活動を抑制する効果もあるらしく、なんかよーわからん。


1のラスボスはマーカーで動きが抑制されてたんだけど、2はマーカー自身がネクロモーフによる活動を奨励したがっているように思えるし、まじよーわからん。


どうも1の時点でマーカーの設定がテキトーだったけど、2ないし外伝のなかで固定されていった感があるわな。


とかく2で物語が終わってないのでなんともいえないけど、マーカーとその実験場はまだ腐るほど他にあるらしく、その辺りだけでもヒーローの活躍が結局ちっぽけな反抗でしかないすくいのなさ、を少し感じ、そのすくいのなさをまどマギとの共通点としてしまったのかもしれない。


ダイブ話しが脱線してるけど、だいたいデドスペ2の話は資源が枯渇した地球にすむ人類の希望として、死してなお活動するネクロモーフに変性することと、その先にある「統合」が用意されているという流れで、なんかエヴァ的なあとあじの悪さを感じる。


人間であることをやめることでしか、人類の救済の道はないって答えにたいし、NOというメッセージを主張するのは天才てれびくんのシナリオにすらあったのだが、わりと人間は人間をやめることでしか問題を解決できない、とするフィクションが多数。


おもえばデモンズソウルも、人間をやめて強大な敵を倒し、なけなしの残された世界を救うというお話しだったわけで


こう、人間が人間のまま人間らしく苦境を打開するってのは、甘いのかなーとおもった。